『曹操、報復の兵を挙げ、徐州攻めを開始す』
反董卓連合を解散した後、群雄たちは主に2つの勢力に分かれた。名門袁家の袁紹、袁術の派閥である
劉備は公孫瓚の元で食客の立場で居たが、徐州の牧、陶謙より援軍の要請があり、公孫瓚の命により徐州へ援軍に駆け付けた
過失で曹操の父、曹嵩を死に至らしめてしまったという陶謙。曹操は悲しみ、怒り、報復の兵を挙げた
同情する点はあるが、悪戯に民を虐げる曹操は捨て置けぬと劉備ら三兄弟は気炎を上げた
前回
次回
未定
パート1
https://youtu.be/QUW58yMQ9i0